前橋教会の歴史〜県下の教会の今昔
(16)昭和45年ごろ
1970年(昭和45年)4月、現、主任司祭のフランシスコ・フローリー神父様をお迎えした。
フロ―リー神父様は1942年(昭和17年)10月4日、聖フランシスコの祝日に叙階された。ニューヨークの教会で助任司祭をされた後、ボーイズ・タウン(養護施設、少年の町)を少し手伝われたこともあるとか。1946年から1949年迄は中国で宣教され
ていたが、迫害の為、故国に戻りボナヴヱシトゥラ大学で社会学の教鞭をとっておられ、博士の称号を持たれる。
その後、日本宣教が決定されたニュー―ヨーク管区フランシスコ会の最初の神父様方の一人として1951年(昭和27年)6月5日横浜港に其の第一歩を踏まれたのだった。翌1953年6月、群馬地区が同管区に委ねられた折りも来県され、他の神父様方と共にお働き下さったのである。来日して21年間、今日の立派な群馬地区の発展を見る迄にお尽し下さった神父様。「本当に、ありがとうございます」と、申し上げたい。
フローリー神父様は深い理解とこまやかな愛情の持ち主で豊かなユーモアがあり信者達から愛され慕われている。来橋されて間もなく家庭集会に回られ、祈りと話し合いの場を作られた。広い心で信者の意見を尊重されたいとのお考えであろう。教会委員の選出も初めて信者達の選挙で定められたのだった。
建築に造詣深く、ごミサ以外の時、ご聖体が主祭壇に安置されないのが望ましいとの典礼上の理由や冬期の暖房や燃料の節約を考慮され聖堂内に立派な小聖堂を作って下さった。寒中のごミサの時は、つくづくありがたく思うのである。又、待望の納骨堂も聖堂内二階を改修して完成して下さった。本祭壇も広く改修されたのだった。
信者間の一致を強く望まれ横の連絡の為にもと新聞の発行を提案され1971年(昭和46年)6月に前橋教会二ュースを発刊、各方面より感謝されている。
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