メインメニュー
ログイン
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録
検索
アクセスカウンター
today
yesterday
total
FROM 2007/3/15
トップ - メニュー  >  江戸時代〜明治時代:前橋教会が創設されるまで
前橋教会の歴史その1

前橋教会の歴史〜県下の教会の今昔


(1)江戸時代〜明治時代:前橋教会が創設されるまで

聖師フランシスコ・ザビエルによって初めてわが国にもたらされた福音の光は、相次いで渡来された神父様方の熱心な活動によって、全国至る所に広がりました。が、徳川幕府の300年にわたる徹底した禁教政策。烈しい迫害の中にも恐らくは江戸地方より利根をさかのぼって信者達が上州の山々の間に信仰を伝えたようです。 さて、本文の前橋教会が創設される前に、関東地方宣教の先駆者となられた神父様方のお話を少し述ぺてみたいと思います。

まずポーリン・ヴィグルース神父様が、明治5年(1872年)渡日。 ルコント神父様に助けられ東京に居を定め、内地旅行も困難を極めた時代にこの地方の宣教に奔走されました。
西南の役が勃発した明治10年、日本のカトリック教会は教勢の発展を思い2教区(長崎を中心とする西日本教区と東京を中心に北海道をも含む東日本教区)作りました。 ヴィグルース神父様が全関東に亘って布教されましたがその片腕となり、又最良の後継者として選ばれたのが、イポリト・カディヤック神父様。カディヤック神父様が故国フラソスを後にされ横浜港に上陸されたのは、明治15年(1882年)のクリスマスの朝。23才の青年司祭でした。 当時の北関東地方はまだ文化が発達せず、歩く以外には殆んど乗物もありませんでした。

広大な地域の所々に僅かな信者が散在。しかし、ただ一つの霊魂を救う為に、文字通り百里の道を遠しとしない両神父様でした。 前橋教会に保存されている最初の教会公簿の記録によると明治21年(1888年)7月7日、新町でミカエル武部林太郎氏が、神坂茂一という嬰児に臨終洗礼を授け、フランシスコの霊名を与えたのが洗礼第一号。翌8月25日、ヴィグルース神父様が太田で四名の男女に、その翌日は境で21才の青年に洗礼を授け、明治24年2月頃迄に、すでに各地(新町を中心に沼田、月夜野、太田、館林に至る迄)に160余名の受洗がありました。この中には幼児臨終洗礼や精神喪失者等があり、当時の布教の様相が伺われます。

プリンタ用画面

カテゴリートップ
前橋教会の歴史
次
前橋教会の創設〜明治38年